

世間を揺るがした事件、そんな事件の判決が出た時にいつも思う事だが、弁護士ってどこか人間性に欠けていないと務まらない職業!
人をあやめ殺人を犯した時、その犯した本人は「殺人を行った方法で死に至るべき」と言う思考。人の命、人権を奪った者は同様の報いを受けるべき。
しかし、近代国家の名の下にそんな殺人犯でもしっかりと弁護と言う権利が有ると言う、何と理不尽なことだろうと被害者遺族、また私のような思考の持ち主でも同様である。
先日、長崎ストーカー殺人の判決が下され「死刑」と言う量刑、明かなる確証高い犯人を特定するDNA鑑定、犯人でなければ合理的に説明できない状況、被害者宅の足跡など、多くの証拠があるにもかかわらず「無罪を主張する犯人側」。
ここに介在する弁護士、本当に犯人ではない!と信じているのだろうか?
単なる屁理屈しか思えないのがこの手の事件の弁護士活動、なぜ明確たる証拠があるにもかかわらず、弁護をするのだろうか?
ここには人間としてのどこか歪んだ性格を持ち合わせていないとそんな職業、続けていられないと結論付けるのが私である。
被害者と同様の死に方で報いるべきと、どんな殺人でも「殺人を犯した者の義務」と思っている。
命も、人権も元に戻した上で、犯人の弁護を!それが不可能であるなら「当然の報いを受けよ!」と言いたい。
今朝は我が家周辺良き天気、今日も1日、健全健康そして良き日を祈って「合掌」。