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理想の彼女を作る

理想の彼女を作る

2015/08/24

1945年4月7日、戦艦大和は最終的に沖縄の敵陸上部隊を砲撃するために、航空機の支援なしで撃沈されることをわかっていて出撃しました

神大佐は「大和を使わず戦争に敗れるのは恥ずかしいことだ。一億総特攻のさきがけとなるために出撃してくれ」というようなことを作戦会議で述べました

これに対し小沢冶三郎は「レイテのとき瑞鶴を出撃させて囮としたのはそれなりの戦果を見込めたからだ。今回は戦果は関係ない、ただの面子でだけの出撃。そんな出撃を許すことのほうがよほど恥ずかしい」と憤慨しました。

しかし航空機の支援なしで沖縄にたどり着けないことは作戦会議にいた者、大和の乗組員はみなわかっていたし、実際大和は撃沈されました

そこで思うことは大和を本土に温存しておくというか、沖縄に向かわせなくても、向かわせても同じ結果になったのではないのでしょうか

むざむざ3千人近くの人名を失わずにすんだのでいのでしょうか

大和の沖縄へ向けての出撃は正しかった決断だったのでしょうか
A 回答 (12件中11~12件)

私は大井篤大佐と 同じです「何が栄光の海軍ばかやろうです」


そんな燃料があったら、輸送船にまわせです
小沢も同じ考えでしょう

陛下から海軍にはもう船は無いのか、陛下の為とは聞こえがいいですが
ご機嫌取りで、犠牲になったと思います

神大佐 も言われなければ作戦も考えないと思います

軍需部だった大西滝次郎がマバラカットで特攻を命令する頃は

すでに 燃料後半年負け戦は決定終戦工作もはじまっていのです

戦争は負ける負けるにしても国体に有利条件で講和しなければならない
と言ってます
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戦略的に誤った方向・結果の中で、正しい戦術がある訳はありません。



南方の油田を確保する為に開戦し、予想以上の状態で油田を手に入れながら、海上輸送が確保出来ずに燃料切れになったのは、海軍側に責任が在った事は明らかです。

意味が無かったら浮かばれないのは、死んで行った非戦闘要員こそであり、沖縄戦で亡くなった方々は本土防衛の礎と言われたのですから、生き残った上官達には意味があったのでしょう。

回答者さんの回答の中に、戦争した事自体が間違いだからイフの話をしても始まらないと在ったのは正しいと思います。

イフにイフを掛けるような話ですが、将来を見据えることが可能だったら、大和が本当に生きたのは、北海道に置いてソ連が参戦した時点で、艦砲射撃でソ連の千島南下戦力を削ぐ事だったかもしれません。
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ある意味永遠に答えが出ない問題でしょうね。



当時は米軍に対する有効な反撃方法がほとんど皆無に近くなっていました。毎日、いわゆる神風特別攻撃隊が出撃していましたが、米軍の対策方法も確立し、有効な打撃はほとんど与えられていません。神風特別攻撃でさえ、米軍の損害のほとんどがジープ空母と呼ばれた軽艦艇である護衛空母か、レーダーピケット任務についていた駆逐艦です。レーダーピケット任務の駆逐艦なんて、米軍からすれば「沈んでも許容範囲のうち」なのです。

毎日毎日、決して帰還しない片道攻撃隊が出撃しているのに、あたら港に座したまま何もしないということに当の乗組員も含めていいのだろうかという意見はあったと思います。
一方、おっしゃるように出撃したところで現実的にはやられるのは眼に見えていて、にも関わらず出撃すれば単なる無駄死にという意見もごもっともであると思います。

ところで、大和出撃のとき、片道出撃ということにしましたが、実は帰りの分の燃料も積み込んでいました。いくら特攻出撃とはいえ本当に片道分しか燃料を積み込まないことには偲びず、場合によっては帰還できるように計らっていたのです。
ここだけ聞くと「泣ける美談」に思えますが、しかし当時は本土決戦も間近の差し迫った状況、燃費が極めて悪い超大型艦の大和の往復の燃料を確保するのはもう本当に大変だったそうです。で、問題はどこからその燃料をひりだしてきたか。
実は直前、まだ日本本土ほど状況が悪化していない中国本土や朝鮮から、食料や日用品などを本土に送る計画がありました。困窮する国民からすると少ないものであっても喉から手が出るほど必要なものです。その回送のために確保された燃料だったのです。おかげで、その食料などは本土には送られないことになりました。当時兵站を担当する将校だった大井篤氏はそれを知り、「なにが特攻だ、バカヤロウ」と怒りに震えたと述懐しています。