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理想の彼女を作る

理想の彼女を作る

2015/08/22

絵の上手さというのは色々と考えはありますが、
  (描く本人の)主観的な絵の上手さと、
  客観的な絵の上手さは別々に考えるべきです。

 また、絵が上手いか上手くないかを、
  才能というものの有無で決めつけるのは
  最初は上手くなかった人に失礼でしょう。
 才能が無いのではなく「意識」が無いだけであり、
  才能というのは意識した果てに見える壁です。
 自分で作った見えない壁に阻まれてるのは滑稽です。


 「意識」は認識や意思、思考や想像などを含みます。
 人間は意識を使って生活をしていますが、
  その意識の質や形、濃度や量は人それぞれです。
 数学が苦手な人は数学のための意識に乏しく、
  漢字が苦手な人は漢字のための意識に乏しい、
  というようなイメージです。
 「才能」と決定的に違う点は、基本的な意識は誰でも
  意思と良い知識さえあればできるということ。


 絵の基本も同じことです。
 才能は基本ではなく、極限の壁です。
 そして、最初から上手いという才能というのは、
  より良い意識を最初から持てているだけです。
 まあ、より良い意識を常に持てるかどうかは、
  人生を捧げるくらいでないと難しいものですが。


 (描く本人の)主観的な絵の上手さは大きく二つ。
  1.思い通りに描けること、描けていること。
  2.より良いと思えるイメージをできること。

 客観的な絵の上手さも大きく二つ。
  A.状態が整っていること(※超広範囲の定義)
  B.興味を惹かれるものであること


 まず1の思い通りに描けることというのは文字通り、
  線や色などを思ったとおりに描画できることです。
 思い通りの絵を描くために思い通りの描画は不可欠。

 人によっては血の滲むような練習の末に身につけますが、
  一切の練習もなく思い通りに描ける人間は稀です。
 むしろ、人間だと思わないほうが気が楽でしょう。
 ほとんどの人は思い通りに描けるよう練習をし
  思い通りに描き続ける為、絵を毎日のように描きます。

 見描想を怠らないこと。

 2のより良いイメージをできることというのは、
  Bの興味を惹かれるものであることと重なります。
 しかし主観的な興味と客観的な興味が、
  必ずしも重なってくれるわけではありません。

 もちろん、人によっては客観的な興味を惹けるか、
  それを考えてより良いイメージをしようとします。
 特に仕事としているような人は、
  客観的な上手さであるA・Bが不可欠ですし。

 それでも何も思い浮かばないというのは論外です。
 思い浮かぶ為に色んなものを見たり描いたりし、
  様々な情報を沢山蓄えていきましょう。


 Aの状態が整っていることというのは、
  x.線が継ぎ目なく描かれている
  y.色が継ぎ目なく塗られている
  z.形、バランスが不安定でない
  これらなどを含めた、いわゆる完成度のこと。
 ちなみに思い通りに描けていたとしても、
  その思い通りに状態を整えることが無ければ、
  このAを満たすことはできません。

 線がはみ出したりしていないか、
  色がはみ出したりしていないか、
  色の塗り方や形が不自然でないか。
 完成度の高さはBに繋がることもあります。
 ただしAが完璧でもBが無ければ人は見ません。

 ただの正方形に興味を抱く人は稀です。