戦国大名・織田信長に見出されて重臣に取り立てられるが、本能寺の変を起こし信長を暗殺。直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ、落ちていく途中、一説では小栗栖で落ち武者狩りの百姓から致命傷を受け、自害した。これは光秀が信長を討って天下人になってからわずか13日後のことであり、その短い治世は「三日天下」とも言う。
本姓は源氏で、家系は清和源氏の摂津源氏系で、美濃源氏土岐氏支流である明智氏。通称は十兵衛。雅号は咲庵(しょうあん)。のちに朝廷より惟任の姓を賜ったため惟任光秀とも言う。妻は妻木煕子。その間には、細川忠興室・珠(洗礼名:ガラシャ)、嫡男・光慶(十五郎)、津田信澄室がいる。
領地では善政を行ったとされ、忌日に祭事を伝える地域(光秀公正辰祭・御霊神社 (福知山市))もある。後世、江戸時代の文楽「絵本太功記」や歌舞伎「時桔梗出世請状」をはじめ、小説・映画・テレビドラマなどでもその人物がとりあげられている。